犬や猫は心の癒しになるか


飼いたい、もしくは飼っている人53%


これは21〜30歳の未婚男女に聞いた調査の結果(日経新聞5月28日号)。お年寄りならまだしも、この年代の、しかも独身の人たちがこれほどまでにペットを求めているとはかなり意外だ。


なぜ、彼らはペットを求めるのか。


調査結果(マクロミル社実施)によれば、その理由は「癒しになる」「生活に張りが出る」「自分が家で寂しくないように」等々。なかには「ペットにおいしいものを食べさせてあげようと思うと、仕事を頑張れる」なんて答えもある。


これは、ちょっとマズくないだろうか。


何もペットを求めちゃいけない、などと暴言を吐くつもりはない。もちろんペットは癒しになる(こともある)。生活に張りが出るかどうかはちょっとわからないが、生き物がそばにいると一人で家にいるよりは寂しさが紛らわされるのは確かだろう。ペットにおいしいものを食べさせるために仕事を頑張る考え方には、かなり違和感があるけれど、まあ人好きずきである。そんな理由で仕事に取り組む人がいてもいいとは思う。


こうした理由でペットを求める人がいるのはわからないこともないのだが、それには条件が一つつく。つまり、これが50代とか60代の人たちで、子どもはすでに独立して身近なところにいなくて、さらには連れ合いの方にも先立たれたりしている場合なら、だ。


しかし今回の調査対象となったのは、21〜30歳の会社員か公務員の未婚の男女である。そこに違和感を覚える。


だって、そうでしょう。未婚の男女なんだから、本来ならそうした欲求は異性に求めるべきものじゃないんだろうか。癒しになるのは人よりペットなのか。ペットより好きな人がいる方が生活に張りが出るでしょうに。部屋にいるときだって、ペットじゃなくて誰かが一緒にいてくれる方が、寂しくないと思いませんか。


と思うのだけれど、もしかして、そうじゃないのだろうか。万が一、人よりペットの方が楽でいいよなあ、なんて思っている人が増えているとしたら、これは問題だと思う。


人を相手にする場合と、ペットを相手にする場合で決定的に異なるポイントが一つある。それはコミュニケーションの質だ。


人が相手となると、コミュニケーションはまさに語源通り、双方向性を持つ。自分の言いたいこと、自分の感情だけを相手にぶつけて終わり、では済まない。自分から何かを発すれば、それは必ず相手によって何らかの解釈がなされ、そのリアクションがまた自分に返ってくる。その繰り返しによってコミュニケーションが成立する。


ここでは、自分の思うままに相手との関係を創っていくことはなかなか難しい。自分がよかれと思っても、相手は「それはちょっと違うんじゃないの」なんて反応を返してくることはざらだ。むしろ、そうした相違をお互いが認識し、相手と自分との考え方や価値観の違いをわかり合った上で、それでも一緒がいいね、となるのが望ましい関係創りのベースとなる。


ところが相手がペットとなると、基本的には一方的なコミュニケーションでいい。愛情たっぷりに接してやれば、ペットはまあたいていはご主人様の望み通りの対応を返してくれる。だって彼らは人の言葉を理解することはできないのだから。エサをくれる、安全なねぐらを提供してくれる、散歩に連れて行ってくれる相手は、自分の味方である。


いろいろ世話を焼いてあげれば、それに応えてはくれるだろう。しかし、ペットが人の言葉をしゃべることはない。彼らには飼い主を全面的に(かどうか正確なところはわからないけれど)受け入れるしかない。飼い主からすれば、よほど間違った接し方をしない限り、飼い犬に手を噛まれることもない。


といった案配で、生身の人とまともにコミュニケーションをとるよりもペットを相手にしている方が楽だ、なんて若い人が増えていなければいいのだがと思った。もし、そうだとすれば、やはりコミュニケーション能力が相当に弱ってきているわけで、これは大問題だと思う。



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