インタビュイーとなってみて
約1時間20分
インタビュイーとなった。つまりインタビューを受けた。お相手は業界紙の女性記者さん。お題は私が出した本について。何とありがたいことに『物流ウィークリー(→ http://www.weekly-net.co.jp/)』という極めてコアな業界紙の、貴重な紙面を使って私の本を紹介してくださるという。
本格的なインタビューを受けるのは、これが2度目だ。そして出版してから、その本についてのインタビューを受けるなんてことは、もちろん初めてだ。しかもその場所が『学士会館』である。インタビューが終わって思いついたのだが、もしかして内田先生もこうやって、まさにこの場所でインタビューを受けられたことがあるんじゃないだろうか。
などと極めてミーハーチックなことを考えてしまったが、インタビューを受けてとてもおもしろかった。なにが、なぜおもしろかったのか。
自分がよく知っている(というか、たくさん時間をかけて考えてきた)ことについてのインタビューである。あらかじめ質問項目を教えてもらっていたのだが、正直なところ、その質問項目についてどんな答をしようかと事前に考えることはまったくなかった。早い話、ぶっつけ本番である。
だが、さすがに去年の秋に書いた、つまりじっくり考えたことは、まだまだ頭に残っていたみたいで、本の内容についての質問は楽にクリアできた。ということがわかって、これまで自分がインタビュアーとしてお会いしてきた多くのインタビュイーの方々の事情、ないしは胸の内といったことがわかったわけだ。
つまり自分が熟知しているテーマについて聴かれる分には、おそらく皆さん事前にはほとんど何も用意してなかったのだなということ。なるほど。
さらにである。自分がインタビュアーとして理想と考えるインタビューが、やはりインタビュイーにとっても理想となるケースがあり得ることも確認できた。どういうことか。
昨日お会いした記者さんは、私の本をじっくり読んでくれていた。話をするテーブルの上に出された本には、たくさん付箋紙が挟んであった。その上、私のブログまで目を通してくれているようだった。つまり、私の話を聴くために、しっかりと自分の時間をかけてくれたわけだ。そんな人がいてくれたということ自体が、まずうれしいではないか。そして、おそらくはいろいろ自分なりの質問事項を用意されていたのだろう、思わぬクエスチョンが飛び出すこともあった。
そうした質問を受けることによって自分のおつむが活性化されることを身を以て体験できた。これが実に得難い経験となった。つまり、こういうことである。
本に書いた内容とは、要するに自分がかなりねちっこく考えたことである。その内容について、まったく別の人が、その人なりの視点でこれまたじっくりと考えてくれた。然る後にお互いが違った立場からそれなりに考えた結果をぶつけ合う。そんなインタビューとなったわけだ。
そこで起こったのは一種の化学反応みたいなものだ。相手の質問が、自分がこれまで考えてきた内容の、その一歩先へと考えを突っ込ませるプッシュ力となる。例えるならマインドマップの枝の先っちょが、もう少し先に広がるような感じだ。
そこにクラウドが生まれることもある。つまり、これまで自分の頭の中の引き出しでは「両者関係なし」とラベリングされていた内容が、急に結びついたりする。それって発見である。頭が喜ぶのである。というのは、インタビューを受ける人間にとって、結構至福的なひとときとなることをまさしく実感できたというわけだ。
振りかえってみるに、どれぐらい自分がそんな相互作用的なインタビューをできていたかと反省もした。単なる取材がそんなふうにいろんな話が飛び交うレベルになるためには、当たり前だけれどそのために時間をかけることが必要なのだ。かなり大げさに誇張して表現するなら、時間をかけるということは「命をかける」ということでもある。
そこまでやるからこそ、お互いが充実した時間を過ごせるのだなあと痛感した次第。「忙しいから」とか「時間がないから」と言い訳して自分をごまかしてちゃいかんなと猛省した。
物流ウィークリーの村上さん、本当にありがとうございました。とても意義のある時間になりました。
昨日のI/O
In:
『マイ・ビジネスノート』今北純一
Out:
小宮山宏さまインタビューメモ