膝抜きと無拍子


一人がバレーボールを両手で挟む。
相手は向かい合って立ち、ボールの上に両手を乗せる。


ボールを挟んでいる方が、できるだけ動きを小さくしてすっと手を広げる。当然、ボールは落ちる。そのボールが床に着くまでに掴めるかどうか。やってみるとわかるけれど、これがなかなかに難しい。一体、何の練習かというと、反射神経を鍛えるためではなく膝抜きの要領を体に覚えさせるのが目的だ。


たとえば組み手立ちで一歩後ろに下がるとき。前足で蹴って下がるよりも、後ろ足の膝を抜いた方が速いと、ある本に書いてあった。やってみると、確かにその通り。膝の案配が完全ではないため動きがぎこちなくなりがちで、うまくバランスを取れないのだが、速いことは間違いない。


それに何より、前足で床を蹴るということはすなわち、前の足に力を入れることを意味する。力を入れるためには、その起こりが必要である。つまり準備動作がいる。


これに対して膝を抜くときに力はいらない。というか膝にかかっている力を抜くのである。床を蹴るのが筋力の仕事だとしたら、膝を抜いて下がるのは重力の作用である。こなれてくればおそらく、体のどこにもまったく力を入れずに下がれるようになるのだろう。


イメージのわかりやすさ、実際にやってみる場合の簡単さを考えて、後ろに下がる例を挙げたけれども、実は前へ出るときも同じである。後ろの足で床を蹴るか、前に出ている足の膝を抜いて、体を沈む込むようにしながら前へ出るか。どちらが速いかは筋力の個人差の問題もからんでくるから一概には決めつけられないが、少なくとも膝を抜く方が予備動作は小さい。


なんで、こんなことをくどくど考えているかといえば、加齢と空手の上達が頭にあるからだ。反射神経で勝負していては、どうあがいても若い人には勝てない。筋力で競っても同じである。力だけの勝負なら体格に恵まれた相手の方が圧倒的に有利なのは当たり前のこと。それなら年寄りは空手などやめるしかないじゃないか、とは思いたくない。


そこで冒頭のボール掴みに戻る。もちろん動物並みに反射神経のいい人なら、「落ちたっ」と思った瞬間に膝を『曲げ』れば何とか掴むことはできるだろう。では、反射神経の鈍ったおっちゃんは、まったく掴めないのか。というとそんなこともない(らしい)。


うまく膝を抜き上半身の落下を重力に任せることができれば、理論上は重力に引かれるボールと落下速度は同じ。手を伸ばせば、何とか床に着くまでにボールを捉えることができる。これは無拍子の動きを体に覚えさせる練習にもなる。そしてこの無拍子こそが武道の理想の一つでもある。


要するに無拍子とは、予備動作なしのこと。たとえば『私の身体は頭がいい』の中で内田先生は、次のような例をあげておられる。

身体を一八〇度反転させる「転換」も、予備動作抜きで始めるのが難しい動きだ。自分で身体を回そうと思うと、必ず「よいしょ」というモーションがついてしまう。
モーションをつけずに、「いきなり」動きだすときの体感を感じとるために、初心者には「後ろから誰かに呼ばれた」と想像してもらう。
やればわかるけれど、自分で回そうと思って首を後ろに回すのと、誰かに呼ばれて振り向くのとでは、速さは同じでも、動きの「質」が違う。後ろから呼びかけられる声に「引っ張られ」ると、主体の側の意識的な動機づけなしに身体が動く。そして主体の「ポジティブな動機づけ」のない動きは「無徴候的」になるのである。


無徴候的に、前に出ている手で突くことができれば、相手の防御を受けずに決まる可能性が高くなる。その突きが、膝抜きによって重力に引っ張られる形で出せるなら、もしかしたら筋力にプラスアルファの力を加えてくれるやも知れぬ。などと夢想しながら稽古する。『隠された空手/桧垣源之助』によれば、平安始め空手の型にはそうした動きがたくさん隠されているという。


どうあがいても動きの速さ、強さで歳にはかなわなくなってきたじじぃ一歩手前の戯れ言なのかもしれない。かもしれないが、そんな空手の楽しみ方があってもいいのではないか、などとも思う。



昨日のI/O

In:
『身体知/内田樹×三砂ちづる
Out:
電気量販店・販促施策アイデア


昨日の稽古:

 ・カーツ散歩